節子師匠
2008年7月4日
恒例のアメリカツアーを終え無事に日本に帰国した7月3日、
私の携帯に豊子師匠から今まで聞いたことのない沈んだ声で留守電が入っておりました。
「今朝ね、節子姉さんが亡くなったのよ。」
岩崎節子師匠・・・
現在の豊子師匠に弾いてもらう前の17年間、
私の三味線をず~~っと担当して下さった師匠です。
三味線の腕前はもちろん、その様子の粋なこと、そして可愛らしいことと言ったら・・・
どこへ行ってもみんなの人気者で人見知りの私はどれほど節子師匠に助けてもらったことか。
また、他の曲師の師匠方と違い出高座(屏風を立てず人前に出て弾くこと)も全く嫌がらず、
というよりむしろ人前に出れば出るほど調子の上がってくる本当に陽気なお師匠さん。
テレビ出演時はもちろん、私主催の会ではほとんど出高座で弾いていただきました。
そんな節子師匠のご家族から
「もうこれ以上ご迷惑をかけるといけないので仕事は辞めさせていただきたい。」
とのお話をいただいたのが9年ほど前。
「何のことだろう?」と不思議に思ったのですが、
ご自宅ではすでに痴ほうがすすみ、たびたびトラブルがあったとのこと。
弾いてもらっている私は一向に気がつかず、それを聞いて初めて
「え~~っ?そうだったんですか~。」と驚いたほど。
そんな状態の身体であっても何が何でも武ちゃんの三味線だけはと
気力と精神力で弾いて下さっていたのかもしれません。
その後入退院を繰り返していた節子師匠ですが、88歳、
とうとうあの世へ旅立たれてしまいました。
本日、荼毘にふされる前、幸運にも節子師匠にお会いすることができました。
その顔の美しさといったら・・・
大袈裟ではなく、まるで少女のような、天女のような見事なお顔でした。
全くこの世に悔いなし、未練なし、「私は本当に幸せだったわよ~」
と今にも喋りだしそうなお顔でした。
節子師匠、お世話になりました。
本当に、本当にありがとうございました。
2008年7月4日