国本武春 ベンベン旅日記(9) ニセモノになった虎造先生

本日の国本、うなる代わりに旅日記とまいりましょう あがった あがった  〜2001.12

 今でこそ、テレビやラジオでの録音、録画の放送は当たり前だが、 浪曲の全盛期、昭和のはじめ頃は放送と言えばすべてが生放送であった。 大正十四年から始まったラジオ放送は、 真っ先に当時大流行していた浪曲を取り上げ、 昭和七年には年間およそ千回も放送されたそうである。

  まあそれだけ浪曲師の数も多かった訳だが、 なんと言っても当時評判が良かったのが、 売れっ子浪曲師による連続読みの放送であった。 連続読みとはひとつのお話を毎日、あるいは毎週続けて演じる事である。 話が盛り上がってきて、いよいよこれからと言うときに   丁度時間となりました   この続きは明日(みょうにち)の   同じ時間といたしましょう などと終わってしまうもんだから、 「明日も絶対聞かなくちゃ!」 と、今で言うゴールデンタイム時分は大人も子供もラジオにかじりつき 「清水の次郎長」や「国定忠治」などの連続物を心から楽しみにしていた。

 そんな頃の浪曲界一のスターと言えば、おなじみ広沢虎造であろう。   ♪~旅行けば 駿河の道に茶の香り は浪曲を知らない人でもどこかで聞いたことのあるフレーズではないだろうか。  そんな大スターの広沢虎造、人気絶頂のはずなのに ある地方公演でどうしたことかお客さんがさっぱり入らない。 「一体どうしちゃったんだ?・・・」 きつねにつままれた想いで地元の関係者に聞いてみると、 「実は今日、虎造先生のラジオ放送があるので、 この町の連中は、今日来ている虎造はニセモノに違いない。 とみんなラジオにかじりついているんですよ。」 とのこと。 その頃やっと放送に録音技術が取り入れられ、 録音したテープの放送日と公演の日時が運悪く重なってしまったらしい。  町の人たちはそんな事とは知らないから、 実物が来てるというのにラジオの前から一歩も動かない。 何にしても、世間の人々が浪曲に飢えていた頃のうらやましいエピソードである。

 ちなみに、私が毎週火曜日に出演している 「梶原放送局web倶楽部」は決して録音ではありません。 それが証拠に、スタジオ入りが間に合わず 車の中から携帯電話で出演したのがついこの前。 関係者の皆様、その節は大変ご迷惑をおかけいたしました。 この場をお借りして心よりお詫びいたします。 ごめんなさい・・・トホホホホ・・・  〜♫ベンベン


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