ブラジル通信 その1

2009年7月14日

ついにブラジルにやって参りました。

以前より希望されていたブラジル公演ですが、
「あたし行ってみたい!」という豊子師匠の一声で決定!
この度の渡伯の運びとなりました。

こちらについて現在3日が過ぎたところですが
順次ご報告させていただきます。

ホームページのかわらばんで皆様お気付きだとは存じますが
豊子師匠が出発前転んで怪我をしてしまい
首にコルセット?を巻いての痛々しい出発となりました。

まずアメリカのアトランタまで12時間、
アトランタの空港で6時間待った後、さらにサンパウロまで10時間。
合計28時間かけて日本のほとんど真裏にあるブラジル、サンパウロに到着。

飛行機の中でも豊子師匠、落としたものを取ろうとして
テーブルの角に頭をぶつけるというアクシデント、
痛いところのオンパレードにもかかわらず
「あははは」といつもながらの笑いとお喋りの絶えない豊子師匠はまさに鉄人。

到着初日はサンパウロ市内にある「日本移民開拓先没者慰霊碑」を参拝。
午後からは翌日に控えた「サンパウロ日伯援護協会50周年記念公演」」のリハーサル。

そして2日目がその記念公演の本番。
朝9時から地元の皆さんの出し物で大賑わい。
舞踊、民謡、コーラスなど16団体の日系人の皆さんによる大演芸会でした。
日本からのゲスト、ピアニストの宮下和夫先生の演奏に続き
最後に私が弾き語りと古典浪曲を披露させていただきました。
日系人とはいえ毎日をブラジルで暮らす人々、
浪曲をちゃんと分かってくれるか心配でしたがどうしてどうして、
割れんばかりの拍手と歓声で大変な熱狂ぶり。
「英国密航」のガールのせりふに笑いが止まらなくなる人続出でありました。

3日目の今日は「憩いの園」「あけぼのホーム」という2つの老人ホームの慰問。
元気なお年寄りに浪曲を楽しんでいただきました。

日本移民開拓先没者慰霊碑の前で

1908年以降、多くの開拓民が日本からブラジルに渡りました。

マラリヤや風土病などに倒れ家族すら分からなくなって
ブラジルの大地に数多く眠っていた無縁仏の霊を弔うため1975年に建立されたのが
この「日本移民開拓先没者慰霊碑」であります。

ブラジルの今日の繁栄に命がけで取り組まれた多くの方々の魂が眠っております。

2009年7月14日

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