地震の日

2011年3月19日

日本が大変なことになっています。
日本各地はもとより、アメリカのバンドのメンバー、
そして多くの友人から「クニモト、大丈夫か?」というメールが届きます。

3月11日、退院後今年初めて浪曲協会の理事会に出席いたしました。
副会長という立場にありながら、病気のため3ヶ月も休んでいたので、
協会の皆さんに大変ご心配とご迷惑をかけておりました。
久しぶりに見る理事の皆さんの顔は、
わずか3ヶ月しか逢っていなかったとは思えないほど、懐かしい、嬉しいものでした。

そして理事会が無事終了し、協会のある田原町から地下鉄で上野に出て
京成電車に乗ろうと不忍口の交差点を渡ったところで今回の大地震に遭いました。

西郷さんの銅像の下で工事をしている大きなクレーン車がすぐそばでグラグラ揺れ、
今にも倒れてきそうだったので、急いで京成上野駅方面に向かいました。
駅の構内では、
「今、大きな地震があったので現在運転を見合わせております。」
頻繁に流れる駅員のアナウンス。

携帯電話が通じないので、公衆電話の前にはあっという間に長蛇の列が出来ました。
電車の運転再開を待ち、新聞や雑誌を床に敷き座り込む人々で駅構内はいっぱい。
そして待つこと5時間以上、すると「本日電車が動くことはありません。
こちらで待たれても本日電車が動くことはありません」とのコメント。
「おいおい、それならもっと早く言ってよ~」

上野界隈のホテルを探して回るもどこも「満室」。
それじゃ今日はこれからどうしようか?
途方にくれながらも、「もしや浪曲協会はさっきの地震でつぶれてしまったのではないか?」
そんな不吉な予感がよぎり、浅草田原町にある浪曲協会に戻ってみることにしました。

浪曲協会のある「浪曲会館」は昭和36年、
浅草田原町に出来た木造モルタル2階建の建物。
浪曲がまだまだ元気だったころ、当時会長だった寿々木米若先生が尽力して建設しました。
今年で築50年。私とほぼ同じ歳。
傾いてやしないか、崩れてやしないかと心配しながら行ってみると外観は全く問題ない様子。
しかも中から明かりがもれています。

誰かいるのかな・・・と、そお~っとドアを開けてみると、
いるわいるわ、澤孝子会長をはじめ春日井梅光副会長、
東家三楽相談役、東家浦太郎相談役、三門柳師匠など総勢十数名。
聞けば理事会の後に催していた書道教室の最中に地震があったとのこと。

揺れることは揺れたが、額一つ落ちず棚ひとつ倒れず全く問題なかったとの話でした。
50年も前の木造建築があれほどの地震で全く無事だったとは驚きであります。

そして「もう電車も動かないので今日は皆で協会に泊まろうと。」と、
すっかり合宿状態の一夜となりました。
浪曲をやっていて本当に助かった、先輩たちがこれだけの建物を残してくれていて
本当にありがたかった、と心から感謝した夜でありました。

連日の報道で被害に遭った多くの方々の様子を目にします。
家も無くなり、家族とも離れ、寒い夜を連日被災地で過ごす方々の様子を
見ていると本当に胸が痛みどうしていいか分からなくなります。
「早く復帰して皆さんに喜んでいただける舞台をお見せしたい!
 皆さんが元気になれるような うなりや三味線をお届けしたい」

自分が芸人として、浪曲師として出来ることはそれしかありません。
・・・ということで、
長い間お休みをいただいておりましたがましたが、いよいよ5月1日、
木馬亭の定席から活動を再開することといたしました。
翌2日には新たに改築される国立演芸場で、今年なんと100歳になる
木村若友師匠の記念の会にも対談の聞き手として出演いたします。
100歳の若友師匠の事を考えれば私などはまだまだ半分、
これからこそ頑張らなければいけません。

日本が少しでも元気になるように、皆さんが少しでも笑顔になるように、
うなりまくり、そして弾きまくって行きたいと存じます。

*5月2日 「第22回 大演芸まつり (祝)100歳!木村若友の会」
割引チケットあります。武春堂までご連絡下さい。

2011年3月19日

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