2014年春 静岡グランシップインタビュー 

わが羅針 第62回  国本武春 三味線に人間賛歌を乗せて
公益財団法人 静岡県文化財団 グランシップインタビュー


「浪曲に登場する人に
 根っからの悪人はいません。私はよく
 浪曲は人間賛歌だと言うんですけど、
 人間は素晴らしいね、
 捨てたもんじゃないね、ということを
 三味線に乗せて伝えて行きたい。
 そんなことを最近、
 とくに思うようになりました。  」

自分がやらなくて誰がやる。

 プロフィールにとても全部は書ききれない。
思わずこちらが唸ってしまいそうな経歴だ。
ブルーグラスに寺山芝居、エレキ三味線、
津軽三味線、ブロードウェイミュージカル…。
浪曲界では異端かもしれないが、すべてが氏の
本筋を支えるものだ。
そして、人の何倍も生きているような濃い
半生だからこその人間賛歌がそこにある。
圧倒的なパワーと垣根をヒョイと飛び越える
身軽さ。満を持しての本誌登場はまさに
”待ってました!“である。

—— グランシップで毎年、県内の小学校に出向いて開催している「浪曲出前公演」。
小学校を対象としたワークショップはここだけだそうですね。

国本 「そうです。学校によって雰囲気は違いますが、私としては浪曲がどうのというより、
    三味線とか、語りとか、唸る歌い方とか、そういうものを子どもの頃に体験してもらえれ
    ばうれしい。面白いぞ、楽しいぞ、わかりやすいぞというイメージを持ってもらえれば、
    将来につながるんじゃないかと思ってやっています。」


—— 公演後には先生たちとの交流の時間もありますが。

国本 「先生たちは生徒を自分の子どものように思っているので、お行儀が悪くてすみませ
    んとか、今日はおとなしくて…などと反省されるんですけど、初めて観るものに最初
    からキャーキャー言う人はいませんからね。三味線の音やそれに乗った歌を聴いて
    もらって、お話も楽しんでもらって、最後にみんなでお題を出しあって、先生とか、
    学校の身の回りのことを歌にする。最初は硬くても歌を作る頃にはみんな仲良く盛り
    上がる。最後には笑顔になる。
    エンターテインメントはそこが大事なんじゃないかなと思います。」

—— ご自身は、ご両親共に浪曲師という環境にありながら、まっすぐその道に進まれたわけではなかったんですね。

国本 「芸人の一家だということに抵抗があったんです。親への反発もあって、浪曲師にだけは
    なるもんかと。でも、歌やお芝居など、人前でパフォーマンスすることは好きでしたね。
    高校生のとき、カントリー・バンドを組んで敬老会などで歌ったんですけど、
    自分たちだってわからない英語の歌を、聴く人はもっとわからない。
    だから、水戸黄門の芝居を入れてみたりして(笑)。助さん、ここらで歌いましょう、
    と言ってまた歌う(笑)。老人ホームなどで津軽三味線を弾くときも間にそういう
    ものを入れるとウケる、喜ばれる。
    親父やお袋の世界の面白さがなんとなくわかる気がしましてね。
    いろいろかじるうちに、浪曲は一人で舞台に立って泣かせたり笑わせたりできる、
    こんないいものはないなって思うようになったんです。」

—— 浪曲界では約二十年ぶりの新人だったそうですね。

国本 「親はこの先浪曲じゃ食えないと思っても、自分が芸人だからやめろとも言えない。
    私自身も自分がやらなくて誰がやる、みたいなところもありました。それで専門学校に
    行きながら、まずはお袋のツテで東家みさ子師匠のもとで三味線を習い始めたんです。
    ただね、師匠は三味線の達人ですが、人に教えるのは上手くないんですよ。
    というのも、三味線は唸った人に反応するものだから。だから、何をどう教えていいか
    わからない。チャンチャンってちょっと弾いたら、うどん食べましょって。出前で
    取ってくれるうどんを食べながら、昔の浪曲がどれほど凄かったかっていう話を聞く。
    これが本当に面白かった。二階から降ってくるほど人で溢れていたとか、
    体育館の窓の向こうの木に捕まって聴いていたとかね。
    それで昔の先生たちは芸も凄かったという話を聞くと、これは三味線をやってる場合
    じゃない、浪曲師になりたいと。
    それで学校卒業の年、東家幸楽師匠に入門したんです。」

—— 入門当時は随分騒がれたとか。

国本 「毎日あちこちで前座をやらせてもらって、久方ぶりのホープと言われて調子に乗って。
    あるとき、かつてのバンド友達を寄席に呼んだんですよ。すると彼が言うわけ。
    お前、えらいところに入っちゃったなって。そうか、自分が嬉々としている世界が
    彼には難しく遠いものに思えたのかと。ショックでしたね。
    それでなくてもお客さんは高齢者ばかり。
    昔、(広沢)虎造、(寿々木)米若、(浪花亭)綾太郎をお爺さんの膝の上で聴いて
    いた人たちがすっかりお爺さんになってるわけだから。
    このままじゃ、やがて聴く人がいなくなる。

    自分としてはせめて友達を呼べるようなものやりたいし、そもそも芸能なのだから、
    誰が見ても楽しい、面白いものでなければと。
    それで考えて、節がどうにも古臭いから三味線にロックでやってみようと。
    それでライブハウスに飛び入りしたり、試行錯誤しながら話と歌を作ったのが
    〈ロックンロールかさじぞう〉ですね。革ジャンにサングラス。始まった途端、
    お客さんがどよめいている。これはいけるかもしれないと思いました。」

—— ある意味、伝統のスタイルを壊すことに対
して、師匠筋からお咎めはなかったんですか

国本 「ライブハウスなど来ませんからね。ただ、
    一度だけうちの師匠がこっそり来たんです
    けど、後で何て言ったと思います? 昔、東家
    楽燕先生が軍隊を慰問して、乃木将軍の台
    詞を言ったとき、軍人が一斉に立ち上がって
    ”気を付け“をした。なんて凄いと思ったけ
    ど、この間あんたがステージで立ち上がれと
    言ったら、みんな立ち上がった。楽燕先生の
    再来だ、大したもんだと(笑)。そんな風に
    何でも受け入れてくれる師匠でした。」

国本武春 自伝的浪曲ガイド本

踊らぬひとりミュージカル。

—— 浪曲では、具体的にどのような修業をなさるのですか。

国本 「声ですね。お坊さんとか、マイクがなくても何百人にも聴こえる声の人がいるでしょう。
    そういう声じゃないと、昔は天下が取れなかった。それがダメなら節(メロディ)を
    勉強しなさい。それもダメなら台詞を、ということで〈一声二節三啖呵〉と言ったんです。

    今は話がわからないとダメなので〈一啖呵二節三声〉ですね。でも、やっぱり浪曲の魅
    力は声です。声を出して、出して、出して、自分にぴったりのキーを見つけるのが大事。
    そうすると細い声が太く強くなって、安定感のある、趣のある声になってくる。
    あとは三味線に乗せるタイミングとリズムですよね。」

—— ご自身で弾かれる場合を別にして、どのような三味線が理想ですか?

国本 「浪曲よりも目立っちゃいけないというか、三味線を忘れるくらいの三味線がいいわけです。
    腕自慢の人はどうしても目立ってくる。私が弾いてますよという空気が屏風の陰から出ると
    やりにくいですね。ただ、浪曲が下手な人は、上手な三味線にやってもらうといいんです。
    自分にメロディの才能がなくても、三味線がどんどん引っ張っていってくれますから。
    逆に自分が上手になってきたら、下手な三味線を引っ張ってあげる。
    その繰り返しでだんだん上手になっていくんですよ」。

—— 浪曲師には、話芸に加えてメロディを作ったり、作詞作曲の素養も必要なのですね。

国本 「メロディーは、先輩たちの録音をどれだけ聞いたかが勝負です。たくさん聴いて、
    いいところを見つけて、たとえば武春節みたいものを作っていく。
    ほかの古典のように一語一句変えちゃいけない、みたいなことはないので、
    そこあたりは自由自在。脚本もセンスなんです。作曲家であり、脚本家であり、
    パフォーマーであり、演出家でなければいけない。
    言ってみれば、一人ミュージカルですよ。踊らないだけでね」

—— 例えば〈清水次郎長〉でおなじみの”旅ゆけば〜“の節も人によって違うということですか。

国本 「そうです。昔はレコードや放送で何度も聴いた浪曲師を初めて生で聴いたりすると、
    ”レコードそっくり!“”ラジオそっくり!“なんて声を掛かったらしいですけど(笑)。
    ポスターに広沢虎造とあるけど、どうも節が違う。よく見ると”小“の字があって
    ”小虎造“になってたり(笑)。それでも客が入った。それぐらい浪曲は人気でした。」

—— よく知る物語でも、師匠のお話にはとことん悪い人は登場しませんね。

国本 「悪い人を懲らしめるというよりも、悪いことしちゃったなぁと反省するところまで
    見せたいんですよ。浪曲に登場する人に根っからの悪人はいないし、
    偉くても奢らない。私はよく浪曲は人間賛歌だと言うんですけど、
    人間は素晴らしいね、捨てたもんじゃないね、
    とりわけ日本人は大したもんだということを三味線に乗せて伝えていきたい。
    そんなことを最近、とくに強く思うようになりました。」

—— 浪曲師としての今後の課題、取り組みの予定などをお聞かせいただけますか。

国本 「今、一番考えているのは、浪曲の形を残すのか、それとも浪曲の心意気を残すのか、
    ということですね。古典の浪曲のスタイルがだんだん薄れてきて、
    上手な若い人がいなくなってきている。三味線も然り。
    これが浪曲だというものをやれる人がいなくなっている中、
    どうしてもそれを残さなきゃいけないのかどうか。
    同じ古典芸能でも歌舞伎や能とは違って、落語、講談、浪曲は大衆話芸であって、
    大衆に支持されて生き残ってきたわけですから。
    大衆のものでなくなったのなら、浪曲の要素を用いた新しいパフォーマンスという方向
    もアリなのではないかなと。語りを強く打ち出したもの、あるいはもっと音楽的なもの、
    芝居的なもの…と、浪曲師一人ひとりが考えに考えて出てきたものが、今の浪曲になる
    のではないかと思ったりしているんです。

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