交遊抄 オリジナル精神 国本武春

             2000.5.13 日経朝刊

 私は学生時代、演劇が好きだった。高校を出た後の二年間は専門学校で芝居をやっていた。しかし、付く役柄といえぱ市長とかパン屋さんとか、その他大勢がほとんど。時間は余るほどあった。

 そのころの仲間にロックをやつていた児玉洋一郎君がいた。私もバンドでマンドリンをやつていたが、ほとんどがコピー。自分の曲をギ夕-で弾いている洋ちやんの格好よかったこと。さつそく、一緒にバンドを組み、ロックやフォークなどいろいろな曲を作っては演奏した。

 いよいよ卒業になり、洋ちやんは「一緒にやっていこう」と言ったが、「歌じゃ食えないよ」と私はちゆうちょした……。浪曲師だった親の勧めもあって、浪曲師になる決意をした。

  二年後、私は久しぶりの若手浪曲師として注目され始めていた。そこで浅草・木馬亭に洋ちゃんを招待した。終演後、飲みに出かけ、「どうだった」と聞くと、下を向いて黙ったまま。そうか、曲がりなりにもこっちはプロ。それに引き換え洋ちゃんはアルバイトしながらのアマチュアだ。ショックだったのかな、と思っていると、しみじみ「お前も大変だなあ」と一言。

 以来、私は古典のコピーではなく、自分のオリジナルを作ることに懸命になった。ロック浪曲もその一つだ。思えば洋ちやんとやったバンドの精神そのままだ。洋ちゃんは歌を辞め、今はサラリーマンをやっている。
 私もこの世界に入って十八年。このほど芸術選奨文部太臣新人賞をいただいた。さて、この次に舞台を見た洋ちゃんは何と言ってくれるだろうか。
                  (くにもと・たけはる=浪曲師)

芸術選奨文部太臣新人賞

 1960年千葉県生まれ。父は天中軒龍月、母は国本晴美、ともに浪曲師。19歳で “語り”で表現することの魅力に取りつかれ浪曲界入り。
 87年頃から活動範囲を広げ、三味線 にギターのフレーズ取り入れた独自の“三味線ロック”を駆使、浪曲・ライブ コンサートはもとより、演劇・ミュージカル等で、無類のエンターテイナーぶ りを発揮している。
 平成11年度(第50回)芸術選奨演芸部門新人賞 (大衆演芸部門)を「ザ・忠臣蔵 殿中刃傷~田村邸の別 れ」の作品(バンダイミュージックより発売)とすぐれたパフォーマンスにより受賞。


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