国本武春 名人を語る 第5回

月刊浪曲12月号 2002年1 月25 日発行

三代目鼈甲斎虎丸(べっこうさい とらまる)

明治18年(1885)6月4日〜
昭和13年(1938)5月5日(52歳没)
東京都出身

子供の頃から芸達者で
長唄の杵屋六糸の門下で長唄の修行をしたり、新派の舞台で女形をやったりしていた。

20歳で二代目鼈甲斎虎丸に入門、
鼈甲斎吉右衛門を名乗る。

25歳で3代目虎丸を襲名。

初代仕込の『安中草三郎』を
十八番とし当たりネタになる。

・初代木村重友
・東家楽燕
・初代天中軒雲月
と共に浪曲四天王の一人として活躍。

得意ネタは他に
『柳橋五人斬り』
『左甚五郎』
『伊達騒動』
等がある。

静岡県熱海で公演中に急死。
その節調は2代目広沢虎造に
大きな影響を与え、
後世において中京節の節調を
隠し味的に使うことを標準的にした。

妻は父・初代京山花丸、母・菊川光治の娘
鼈甲斎ひさごで曲師として支えた。

息子の青柳一蛙は浪曲引退後
日本橋きみ栄と結婚し
マネージャーとして支えた。


鼈甲斎 亭号の由来

初代の親の家業が鼈甲屋
そこから亭号に取り入れた。



三代目 鼈甲斎虎丸

大正の四天王の一人三代目虎丸先生は晩年には
歌舞伎の手法も取り入れたりというように
いろいろな演出を駆使した方だったようです。

しかしその中でも若い頃の早間の
合の子節である虎丸節はすばらしいと思います。

この節を使った「安中草三』はレコードに残っていますが、
まるでテープを早送りしているのではないかと
思えるぐらいに早間に攻めていく節調で、
その展開の速さにはリズム感や気っぷのよさ、
張り合いのよさを感じます。

この節は虎造先生の節の元だけあって
すごいものがあります。
今、この節があったらとてもいいんではないかと
思うくらいワクワクする節です。

今若者の間でラップという音楽がはやっていますが、
おそらく日本のラッパーの中で最高の位置にあるのが
虎丸先生だと思うのです。
ラッパーがこれを聞いてくれたらいいと思うのですが、
そのような場が作れないのが残念です。

私の音楽の関係者にこの節を聞かせると
他の浪曲は受け付けない者でも、
虎丸節だけはこれはすごいねえと、
みんなが食いついてきます。
またこの節を私がアフリカ人の前でやったら、
そのノリのよさに、アフリカ人が踊りまくった
というエピソードもあります。
この節には人間の原点ともいえるリズム感、
インパクトがあるのだと思います。

何を言っているのか分からなくても
言葉の羅列をしていくと生じる
ワクワク感というものがあります。

一つのリズム感の妙ですね。
浪曲の魅力というとどうしても声、節、啖呵となり、
リズム感は節、メロディーの中に含まれてしまい、
単独では取り上げられにくいところがあります。

しかし、一つのビート、リズム感、
間を畳み込んでワクワクさせていくというのも
虎丸節を聴いて感じる浪曲の大事な要素だと思います。

浪曲が明治時代に始まって、
いろいろな形のものが出てきて、
その一番とんがった形が
鼈甲斎虎丸という人の節の中に生きていると思います。
現代の音楽好きの若者たちに何も言わずに聞かせて
好評を受けるのは何といっても
虎丸先生ではないかと思います。

ネケを聴いてみますと、
泣かせる所では泣かせ、
ワクワクさせる所ではワクワクさせているという、
とても芸の間口も懐も広い、
芸の達者な先生ですね
そして畳み込んでいった節をスパッと切る
切り場のすばらしさ、
構成力も持っていると感じます。

大正の四天王というのは浪曲の歴史の中で
最もバリエーションがありますが、
その中でも一番飛んでいる存在ではないでしょうか。
今、この先生の十分の一でもできれば大変なものだと思います。


初代春日井梅鴛(かすがい ばいおう)

明治38年(1905)2月20日
昭和49年(1974)10月22日
千葉県出身

14歳で春日井梅吉に入門。
師匠の勧めで上京
春日井梅鴬の名で高座に上がる。

1933年の東海林太郎のヒット曲
「赤城の子守唄」秩父重剛がを浪曲に脚色
梅鴬が演じて一躍スターダムに。
その後もレコード「天野屋利兵衛」「南部坂雪の別れ」「越後獅子祭り」「残菊物語」などがヒットし得意ネタとなる。
美声とリズミカルな「梅鴬節」が特徴。
日本浪曲協会会長を務めた。

実の娘が2代目梅鴬を襲名した。他の弟子には春日井梅光(日本浪曲協会元副会長)、藤田元春、等がいる。

初代 春日井梅鶯

浪曲全盛の時代とともに売れた先生で、
初代雲月先生の持つメロディーのすばらしさと
米若先生の持つ声量のよさを
見事にマッチングさせて
梅鷲節という一つの形を作ったのはすばらしいと思います。

そしてその節調が日本中を駆けめぐって
時の人になったわけです。

どこどこの偉い先生について修業したというのではなく、
持ち前の才能と自分の持ち味を生かした
声と節を駆使してスターになった、
まさに独流で売れた方です。

おそらくそのような売れ方をした
最初の人ではないでしょうか。

浪曲はいい声といい節が使えて
すばらしければ一夜にして
スターになれるという夢をかなえた人です。

一旗あげるには浪曲になれ、
という時代の花形であったと言ってもよいでしょう。

人々の生活の中にまで浪曲のメロディーが入り込んだ、
浪曲が最高の頃のよき時代に、
それこそ絶好調の、力のある若者が出てきて
見事な節と声を使ったという時代のすばらしさ、
力、息吹を梅鴬先生の浪曲には感じることができます。

もちろん工夫もあったのでしょうが、
一夜にしてスターになったすばらしい先生です。