中洲通信 国本武春 ロングインタビュー 後半

中洲通信 1997年9月号 浪曲師 国本武春 夢幻浪曲狂噺(ゆめまぼろしのろうきょくたっぷりちわばなし)

国本 でも、こんなことは昔はよくあったことでね。
そのころ、錦糸町で「うなって語って錦糸町」といういわば浪曲バラエティ
みたいなものをはじめたんです。新作なんかやったり、
三味線ロックもそのころからかな。

若手がやってることだからね、
「でも面白いことやっててなんで客が入らねえ、何で入らないんだろう」って、
昔は舞台に客が上がつんだとかつて頭のどっかにあるわけですよ(笑)。

よくよく考えてみると、浪曲ファンは、「次郎長伝」を一席はできないけど、
「旅い行けばあ〜」というのはだれでも風呂入ってうなってる。
「遠くう〜チラチラ〜 」も知ってると。
昔の映画とか見ると、中で一節、茶碗洗いながら歌ってるシーンがあったりもする。

… 昭和二十年代の映画のシーンを見るとありますよね。

国本 そうそう。そういうのを見たりすると浪曲が生活に入り込んでる。
人々が普通に働いて生きてるところに、そこにメロディが入り込んできちゃって、
口ずさんじゃうようなものが、あれだけの大衆のものになったんだとすれば、
浪曲師とか浪曲サイドから、流行歌が一つ出ないと流行らないんじゃないか、
というのがあって。
ちょうど、前後して三味線でなんかやりたいというか、
漠然とヤマハのボーカルスクールに行ってたことがあって卒業に一曲作れという。

それで作って、演奏したら、妙にね、面白いんですよ。
ハマるんですよ、エイトビートが。
最初はコードが分からないから、三味線の竿にガムテープかなんか貼って、
いまだに貼ってありますけどね(笑)。あれ印だからないと困る。
で、リズムボックスとかも買ってきて、それでロックンロールと昔話を一緒にし
たようなものをやったんですよ。「浦島太郎」。
その時の客は基本的に音楽ファンの方々で、みんな、なんだこれは!てな顔してましたよ。

こっちもロックだというので一応サングラスかけて、ベベベベンと弾いて
「おい、だめだよ、亀いじめちゃ」とかやって、話芸なわけですよ(笑)。
話芸のわりには「あなたのお名前は?」とか亀が言って
「浦島だ」ダッツダダッツダ一斉にリズムを送って、
「むかし、むかし」と歌うんですけど、異様な受け方をしましてね。
妙な雰囲気になって自分もなんか知らない、
浪曲をやってるときと違う実感があって、
これは面白いぞ、というのがあって始まったんですよ。

ロックンロールうらしま(冒頭)

自分としてはとにかく今は浪曲は流行ってないけど、
音楽ではニューミュージックやポップスとかは流行ってるから、
声やこぶしにしたって三味線にしたって人が弾かないような節をやってるし、
ちょいとニューミュージックの世界におじゃまして、
ヒットをポッと出して、こんなの子供のやるところだからとちょいと
また浪曲に戻って、どうせ浪曲はあなた方には分からないでしょう
て感じでやろうと思ってたら、大変なんですよ、そっちで売れるのは(笑)。

… (笑)。

国本 だいたいが誰も引っかけてくれない(笑)。レコードこそ出たけれどもね。
ロックバンドですから、最初はリズムボックスとギターとピアノの三人でやってたんですけど、
そのうちにベースが入ったりドラムを入れたりして三味線もエレキにして、
ワイヤレス飛ばしながら、けつこう舞台駆け回ったりしてたら、
なんのことはない普通のロックバンドみたいになっちゃったんですよ。

まあ、逆に浪曲の方はいつまでも逃げないけど、
そっちの方はアイデアあるうちどんどんやっていかなきゃダメだというのがあって、
いろいろ人脈つくっていろんな人たちとジョイン卜したりして、いまだに続いてる。
ヨーロッパで録音もしました。
向こうのミュージシャンと浪曲を通じてジョイン卜したりして。

アフリカの音楽家とも共演したと

国本 そう。だから、いい勉強になったし、
浪曲でどういうネタにしようかとか演出方法はとか、
三味線の伴奏がって悩む以前に
浪曲のもってる声のボリュームとか存在感というのが、
けっこうすごいんだなというのが改めて分かりましたね。

…  浪曲って世界に通用してるんだなと。

国本 浪曲の声一本でこれだけすごいのかというのはありましたよ。
パリのアフリカ人は、みんな一旗あげようとしているから、
たくさんいるんですよ。民族音楽専門のやっとかタイコ叩くやっとか。

で、そういう人たちとの音合わせの合間なんかに、
「忠臣蔵」なんかうなってると、彼らが真剣な顔して聞いてるんです。
でね、「どうして、お前は俺の国の歌を知ってるんだ」とか言う。
それくらい浪曲とアフリカの歌は似てるところがあるらしい。

結局、アフリカは野っぱらで向こうの方にいるやつまで聞こえさせる
声の震わせ方とかあるんでしょうね。
それが楽燕とか重友とかやってた大正時代、
マイクのない時代を通ってきた浪曲の歴史と同じらしいんですよ。
らしいんですよって、これは自分でそう考えたんですけどね(笑)。
結局、マイクロホンになってから「何が何まで何とやら~」と
きれいな声になりましたけど、
基本的には「エーイ」というどうわれ声なんですよ。
そういうのは、アフリカのうまい人でかれた人ほどそういう声を出す。
空間をその人の声で支配しちゃうくらいだから。

そうなると自信がついたというか、だから自分で一歩ずっ、
いろんなところに身を置いて、自分をためしたりする。
まったく知らないミュージシャンの連中のところにポンと入れられて、
三味線でいこうか節でいこうかまったくいろんなパターンが
考えられるわけですよ。最初から作戦がある人よりも
こっちは行ってみてというところがあって、ハマればすごいし、
ハマらなければまったくダメだったりするから。
そういう時期はしばらくあってもいいかなと思ってます。

… 逆にそれは昔に帰ってるというか、それこそ雲右衛門からして、
もっと前というか浪曲が出来たばっかりというのは、
チョンガレとかチヨボクレが他の芸能の影響を受けて
それが浪花節になっていったのと似てるかもしれない。

国本 そうですね。浪曲は浪曲なりにいろいろ潜ってきてるから。
やっぱり、当たり前に聞けるようなものというのは、
もっと作らなきゃいけないかなと思うんですよ。
それは、そういうモノを作ろうとしている風がいいんじゃないかなと。
先輩たちが浪曲というスタイルを雲右衛門は雲右衛門なりに、
その後の人は後の人なりに、試行錯誤してあいつと俺は違うという
自分のオリジナリティをどんどん求めてた時期というのは、
それは駄作もあるんですけど相当に強い風が吹いていたと思うんです。

… 当時は節もそうだけど、台本とかでも、
活動の弁士からかっぱらってきたとかね。

国本 とにかくみんな人より受けるということについては、
貪欲に取り入れたから。演説が受ければ演説ですよ。
とにかく当たり前に、特殊じゃないんだという、ところに行かなきゃね。

できなくても作ろう作ろうと
思ってる風さえなくならなければいいと思うんです。
こっちはずるいようだけど、浪曲というのは、自分も親からのもんだし、
浪曲は逃げないもんだし、いつかは腰すえてやらなきゃならない、
自分でもホレ抜いてるから、いいものをやろうとは思うんですけどね。

… 今何がしたいですか?

国本 旅行したいですね。

… 外国?

国本 外国も行きたいね。

… 仕事じゃなくてっ。

国本 三味線一本持って、向こうのカントリーフェスタを荒らしたい(笑)。
もうちょっと金銭的にも余裕ができたらですけど。
だいたいがブルーグラスでしょ、
それに何年か前から三味線でブルーグラスをやってますし。
英語で歌えるやつを何十曲か練習して、向こうへ行って、
オートバイかなんか乗ってね、三味線持って大陸横断したいですね。

三味線で、ブルーグラスはやる津軽三味線はやる浪曲もやれば、
旅費だけ持って行けばどうにかなるんじゃないかと思ってるんですが・・・
芸は身を助ける(笑)。

それと、もっともっと外国に慣れたら、
アジアで節のルーツを巡る旅もやってみたい。
芸能というか、どうして芸能という仕事が出来て、
自分たちの芸能がどういうところで生まれるのかみたいなところが
分かってくると、売らなきゃとか、客を呼ばなきゃとか、
レコードなら何万枚とか、そういったものに流されない、原点で、
「こりゃいいねえ」という誰が聞いても面白いとか、
そんなもんができる可能性があると思うんですよ。

できることなら明治とか大正にタイムスリップして雲右衛門と会いたい。
雲右衛門に会ってね、
「ぼくは何十年か後に浪曲師になるんだけど、
けっこうこのへんでくろうしてるんです」って聞いたら、
雲右衛門がどう答えるかね。
意外と小物だったりするかもしれないと思ってるんですけど(笑)、
それはできないから、そういう息吹のありそうなところたか、
これからそうなりそうなところとかあるかもしれないので実地に見て回って、
どうしたらいいのかを考えたい。

節の形というのは今は先輩たちの模倣から出ないし、
いくら捏ねやったところでまったくゼロから新しいものは作れない。
浪曲の中はお客さんも含めてまったく違う波が来ればなと思いますよ。

… 浪曲の中だと作曲という作業じゃなくて編曲になってしまう。

国本 おなじみのメロディを聞きやすく
するとかになっちゃうから。

そんなもんじゃぜんぜん追いつかないくらい
時代が離れてるというか。

自分たちの感覚もわざわざそこに
行かなきゃいけないみたいなところもあるんで、
それでも酔うことはできるんですよ。

でも、それよりも昔の先輩たちが
いた状況がまた来そうだなという
その気配ぐらいまでは感じたい。

浪曲から学んだものとは、とにかく受ければいい、
当たればいい、ピックリさせればいい、
喜ばせればいいという潔さみたいなもの。

そのためには多少のずるさは必要だというかね、
ハッタリが必要とか。
そこが浪曲の素敵なところで。

これをやっちゃいけませんよ、とか、
こんなのは浪曲じゃありませんよとか、
そんなのやっちゃヤボになりますよ、
なんていう人はいますけど、
それでも売れる人は売れるしダメな人はダメだし。

ハッキリしてるから、いいと思います

だから、浪曲がカツコいいのは潔さ。下火だろうが無くなろうが何しようが、
それは状況ですから。だから、どうしようとこっちが慌てることじゃなくて。

… 無くなれば無くなったで困りゃしない。

国本 やる人がいなくなれば無くなるんですしね。こっちがどうにかするなんておこがましい(笑)。
先輩たちからだって、「そんなこと、お前に頼んじゃいないよ」って言われそうだし(笑)。

… 逆に無くなってしまっても、「なんかそういうものがあったよ」で残っていく。

国本 三味線にしても声にしても、他流試合することによって裏付けができてくる。
浪曲で何でそうなってたのかというのがけっこう分かることがあるんですよ。

… 逆にそれで浪曲がよけい分かる。

国本 そうなんですよ。当たり前に先輩たちがいい声出していたものを、一生懸命出してみようとかあるじゃないですか。
そこには先輩たちにとってちゃんと理屈があって、
中にはひょいと出来てしまった人もいたんでしょうが、試行錯誤したと思います。
そうした(どうしてそれが受けてどうなったのか)というのを違うところで発見したりするんですよ。
あーそうか、だから昔は受けたんだとかね。
無駄はない。だから、今は楽しいですね。

… インタビュー 稲田和浩
取材・構成=伍東道生 「LB 中洲通信」1997年9月号 掲載記事