熱いハートで!ロックン浪曲  ◆総立ちご期待、三味線片手に歌う「義理人情」◆

 1988.12.7 日本経済新聞朝刊に掲載されたカリスマ28歳の心境。

私は、まず「語り」をやりたいと思った。そして三味線を使 いたかった。さらに ・・・

28歳、最年少浪曲師

 桃中軒雲石衛門という人は明治末のユーミンか矢沢永吉か-
-この浪曲中興の祖は数日間、歌舞伎座を満員にする当代一のス-パースターだった。
 同じころ出始めたレコードのほとんどは浪花節レーベルだったし、ラジオ黎明(れいめい)期の番組の中心も浪花節である。昭和初期にいたるまで、浪曲は大衆芸能の王様だった。

 その栄光は今いずこ。お客の数は減る一方。二十八歳の目下最年少浪曲師たる私にとって、この状況は寂しい限り。と同時に死活問題でもある。

 浪曲師の年齢構成は逆ビラミッドだ。私のすぐ上は四十歳代。五十代も数人で、中心は六、七十代。お客さんの方も同じような比率だ。だから、失礼ながら言わせてもらえば、やる方がいなくなるか、聞く方がいなくなるか、という時代にさしかかっている。

 浪曲や落語の世界は一人前になるまで三十年かかると言われている。五十歳ぐらいになって「やっと板についてきた」となる。それまでぼくらはどうすれはいいのか。
 「三味線ロック」なるものを私が始めた時も先輩はだれ一人『そんなことをやっちゃいけない』とは言わなかった。わかってくれているのだ。新しいことをやらなくてはならない。浪曲は今、危機なのだ。
 かく言う私も、子供のころは浪曲などロクに聞いたことがなかった。両親とも浪曲師だったのだが、父は早くに引退、母も地方回りが多く、楽屋で遊んだ記憶はあっても、浪花節をうなっている姿はほとんど見ていない。中学のころは陽水や拓郎や
ビ-トルズを聞いた払、カントリーバンドを作ってマンドリンを弾いたりしていた。

虎造「次郎長伝」に感激

 演劇をやっていた十八、九のころにやっと寄席通いを始めた。落語はすぐ好きになった。一方の浪曲はとっつきにくかった。退屈だし、とにかく言葉の意味がわからない。

 当時二十本組の浪曲全集のテープがでていた。そのうち聞き通せたのは二本だけ。しかしこれがすごかった。広沢虎造の「次郎長伝」と広沢菊春の「狙徠豆腐」。歌もあるし、テンポもある。タタミ込むところでジンときた。東家幸楽師匠の門をたたいたのは二十歳のころだった。

 四、五年修業するうちに、若い人を呼はなくてはという気持ちがムクムクと頭をもたげてきた。ニューミュージックのように理屈抜きで楽しめるものがうらやましかった。例えは忠臣蔵の「天野屋利兵衛」がどんなに良くても、初めて聞く人は冒頭二十分、ヤマ場にさしかかるまでは、ガマンしなくてはいけない。これだけ多彩なメロディーがあふれる時代に「この節のこのサビたところが……」と言ってもわからない。    
 私は、まず「語り」をやりたいと思った。そして三味線を使いたかった。さらに今風にやりたかった。

 そんなことを考えながら、漠然と勉強のために、ボーカル教室に通っていた。おととしのことだ。先生の五十嵐洋さん(国本バンドのギタリスト)に発表会を前にしてこう聞かれた。「楽器できないの?「できません、三味線しか」「じゃ三味線でやれば」-こうして三味線ロックは誕生した。
 三味線ロックとは文字通り、私が三昧繰を弾きながら、私が歌う(うなる)ロックである。

「ロックンロール義理人情」は次郎長伝だが、一先日の渋谷のライブハウス公演では観客総立ちになった。「ロックンロールかさじぞう」「ロックンロールうらしま」なんていうのもある。
お年寄りも「リズムものれるし(?)歌の文句も良い。何よりも三味線で歌うところが気に入った」と言ってくれた。
 ピアニストとギタリストと私の三人でバンドを組んでいる。ドラムとベースのパートはリズムマシンを使う。
 
   コードは手さぐり

 三味線の弦は当然三本だが、すべてツン、チンという感じの単音で演奏されるわけで、コードというものはない。結局、手さぐりで、今まで使っていない「ツボ」(ポジション)を探してコードを作る。
 三味線というのは、元来幅の広い楽器だ。義太夫のようにしゃべってよし、民謡のように歌ってよし。私は津軽三味線を陽気にエレキギターのように弾いてみることにした。ロックには腹の中からしはりだす熱いハートがあり、メッセージがある。 これぞ現代の浪曲ではないか。

 そもそも、浪曲というのはよその畑で実ったものを盗(と)ってしまおうという、食欲(どんよく)さを持っている。立ち机に大きなテーブルクロスをかけるのも、明治の壮士の演説会をまねてショーアップしたものだ。三波春夫先生や二葉百合子先生は、流行していた歌謡曲をとり入れて、歌謡浪曲を作りだした。それならばビートルズを聞いて育った私がロック浪曲をやたっていいではないか。

   おもしろい「語り」を

 歌謡曲をはじめとする新しいメロディーが出てきて浪曲は衰退したわけだが、語りの部分はまだおもしろい。浪曲のスピリットは語りの中に脈々と生きている。見せ方の形をちょっと変えてやればいいと思う。
 大正時代「その時乃木将軍は・・・」とうなっただけで、客は全員バッと気をつけをしたという。そういう雰囲気なら泣きたくなるのも無理はない。ところが今、同じ調子で義理人情をうなっても、それは説教にしか聞こえない。「教える」のではなく、「こういうのもあるんだよ」という感じで私はやりたいのだ。

 とにかく私は浪曲が好きなのだ。一生かかって浪曲道を究めようと思っている。だから少しでも多くの人を取り込みたい。
 天中軒雲月先生のような名人が現役のうちに、若い人に聞いてもらいたいと思う。武春の三味線ロックを聞きにきて、そのうち「もっとすごい先生がいるらしい」というウワせが広まって、浪曲の寄席に足を運んでくれる人が増えたらうれしい。

 コツコツと浪曲一本に打ち込むのはその後でもいいと思っている。とにかく玄関まで引っぱってこなくてはいけない。それが私の役割であり戦略なのだ。

 十二日に東京・深川江戸資料館小劇場でやる「忠臣蔵」は、三味線ロック、浪曲舞踊、そして浪曲の三本立てだ。新解釈の浪曲は「根性忠臣蔵」。赤穂浪士の武器を調達した侠商・天野屋利兵衛が実は広告の天才で、拷問に耐え抜く美談を大宣伝してちゃつかり大もうけ、近松や西鶴もスタッフだった……あとは会場でお楽しみを。

(くにもと・たけはる∥浪曲師)


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