名調子武春! 浪曲界のニューアイドル

浪曲界のニューアイドル 毎日グラフ1985 2・10号
浪曲ぎらいが浪曲師に


「子供の頃から舞台に憧れていたけれど、両親がやっている浪花節 だけは絶対やるもんか、と思っていた。だから高校の学園祭などでは、いつもギターを弾いてフォークソングを歌っていたんです」

 国本武春さんは弱冠二十三歳の浪曲師。高校時代は歌とギターに凝っていた。コンピューターを勉強するためではなく、演劇科があるという理由で東京・蒲田にある日本電子工学院に進んだ。

 ところが、そこの演劇科では、男としては背が低く、太り気味というスタイルのため、脇役はおろかセリフ一つのチョイ役がつけばいい方だった。
「これではいくら 練習しても出番はこない。やっばり一人でやれるものがいい」。こ う悟った武春さんは、寄席に出ることを思いつく。もともと寄席の 雰囲気が好きで三日にあげず通ったこともあるし、できれば ″お笑 いもの″で舞台に立ちたい。
 だが、この希望を知った母から、 「寄席に出るんなら、母ちゃんの三味線伴奉をやって」と頼まれ、 「いいよ、三味線をやろう」とあっさり引き受ける。これが、あれ だけイヤだと思っていた浪曲界に首を突っ込むキッカケになる。
 そこで三味線の師匠につくかた わら、家にあった古い浪曲のテープを聴いて猛練習を開始した。
 「最初は何を言ってるのか、さ っばり分からなかったが、何回も聴いていると、よく聴きとれるようになり、分かってみると、浪花節っていいもんだなあ、と感じるようになったんです。それで自分
でやりたくなって・・・・・・」

 かなり回り道をしたが、ともかくこうして武春さんの浪花節人生は始まった。そして一年後、思い がけないチャンスが到来する


 「笑っていいとも赤城山」
 三度笠スタイルの丸目博子さんらにる軽快なジャズダンスでオープニング、若者向けの浪曲。
 昨年六月(1984年)、東京・浅草公会堂で開かれた関東浪曲大会に若手代表として出演することになったのだ。
「浪花節は、まあまあ聴けるのが十年目といわれるのに。師匠らにはさまってどうしよう。何とか大恥をかかない方法はないだろうか」
 
 結局、誰もやったことのない新しいものをやるしかテはないとの結論に達し、そこで放送作家・丸目狂之介氏に作・構成・演出してもらったのが「笑っていいとも赤城山」。
 物語の主人公はやはり国定忠治だが、伴奉はピアノ、シンバル、トランペット、ティンパニー横笛、尺八、鼓、三味線という和洋とりまぜた大合奏。にぎやかなジャズダンスで慕を開け、ドライアイス
の霧がたちこめる赤城山中に旅姿の武春さんが現れる。節回しはテンポを速め、唸りをやめ、セリフにはギャグを取り入れる—といったユニークなものだった。
 この試みは大成功、会場の観客から大きな柏手が送られた。

 NH Kテレビから、早速、出演の依頼があった。
 テレビが放映されると、同年代のファンが急増した。昨年暮れには、「桃太郎後日談」「そば屋小僧」の新作二題を加えたリサイタルを開いたが、会場には二十歳台の男女が 八割を占めた。
 「丸目先生のおかげで、浪花節を若い人たちにも喜んで聴いてもらえる方法がわかりました。これからは古くからある作品をやる時も、みんなに楽しんでもらえるように工夫して、もつと若い浪花節ファンを増やしていきます」。ニュー浪花節の誕生だ。

                        文—-有馬靖子
                        写真 斉藤政春


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です