古典は今 8 国本武春  浪曲の心で三味線ロック

1997.11.20 読売新聞夕刊

 芸術祭や浅革演芸大賞の新人賞を獲得した気鋭の浪曲師である。十月には年に一度の日本浪曲協会主催の浪曲大会でトリを務めた実力派。だがこの人には、“もう一つの顔”がある。三味線をギターのように奏でる、異色のロック歌手でもあるのだ。

 都内のライブハウスなどで年数回はコンサートを開く。「清水次郎長」の一節をハードロック調にアレンジしたものからオリジナルのブルースまでレパートリーは幅広い。共演者もジャズ・ギターの渡辺香煙美、ポップス歌手の大江千里、サックス奏者ジョン・ゾーンなどジャンルを超え多杉。だが、奇をてらっている訳ではない。「浪曲は、常に時代ともに歩むべきだ」という思いからだ。

 <もともと義太夫とか説経節とか、様々な要素を吸収して生まれた芸能じゃないですか。節もせりふも、演著それぞれが流行を取り入れて発展させた畑その結果が、広沢虎造の虎造節や三浪春実の歌謡浪曲。だからこそ、どちらも大衆に支持されたんです>
 かつては千人、二千人のホールを当たり前のように満員にしていた浪曲の人気も、一九五〇年代から六〇年代初めを最後のピークに低迷。現在、日本浪曲協会所属の浪曲師や相方の三味線(曲師)は約百三十人いるものの、二十代、三十代の若手は、この人を含めてわずかに十人。常時興行を行う寄席も、東京・浅草の木馬亭だけとなった。

 <浪曲を愛して、会場に足を運ぶ人は、今や数百人じゃないかって思うこともある。若い観客も増やすために新しいことにも挑戦しなければならない。道のりは遠いかもしれないけど、いろんな試行錯誤をする時期だと思う。それが“三味線ロック”を手掛ける大きな理由の一つです>

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 父は天中軒龍月、母は国本晴実。ともに浪曲師である。しかし、「高校時代まで浪曲を聴いた事がなかった」という。ビル・モンローらに代表されるブルーグラスに熱中し、アマチュアバンドでフラットマンドリンを弾きながら落語の寄席に通う毎日。若手売り出し中だった春風亭小朝の高座を見て、芸人にあこがれた。
 <親が浪曲師で、自分で楽器を弾いていたから、最初は曲師になろうと思っていた。あまりにも何も知らないのもまずいから、京山幸子若や虎造といった昔の人の芸を聴いたんですよ。びっくりしましたね。自由自在にアドリブを入れながら人の心を揺さぶっていく。いっペんにとりこになりました>

 数々の名人芸に触れているうちに、自分でもひと節語りたくなり、曲師から転向した。たんかを切る時の太い声。一つ調子あげたハイトーン。バリエーションあふれる声は、これまで十七年かけて「佐倉義民伝」や「紺屋高尾」など古典を修業しながら身に着けた。
 <浪曲って“一人ミュージカル”だと思う。舞台上で踊ったり動いたりはしないけど、歌としゃべりで物語を展開させていく>
 頼りなのは、鍛えぬいた「声の力」だけ。それが、芸の神髄だと思っている。

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 三味線ロックを演じるのには、もう一つ理由がある。十年前に始めた時には「浪曲師の座興」だったが、これこそ浪曲と現代とをつなぐ自分にしか出来ない芸だと思い始めている。
 <僕の歌、僕のしゃべりの根底には浪曲が染みついている。ブルースを歌っても、どんな人と共演しても、それは自然ににじみ出てくる。『国本を見たら、そこを通して浪曲が浮かび上がってくる』。そう言われるようになったらありがたい>
 尊敬する芸人は、ビル・モンローと歌手の笠置シヅ子、レイ・チャールズの三人だと話す。どんな音楽を演じても、独自のスタイルに消化しているし、その人にしか持っていない独特の雰囲気で会場を包んでしまうことができるからだ。
<三人とも、それぞれの生活背景や生きてきた道のりが透けて見える。今の日本人は、西洋的な芸能の背景は意外と良く知っていても、日本のそれは知らない。それを強烈に感じさせる人間になりたい>

 かつての浪曲のキーワードは、「義理」と「人情」だった。大正から昭和にかけて大当たりを取ったのは、その言葉に日本人の生活の核があったからだ。では、現代のキーワードは一体何なのか。
 <愛なのか、友情なのか。今の僕には、分かるようで分からない。でもほんの近くにたどり着いた実感もあるんです>
 それを見つけた時、三味線ロックは形式だけの実験でなく、「浪曲の心」を持った新たな芸能になる。その時に、国本武春の古典と現代を結ぶ試行錯誤の旅も終わるだろう。

                     文・田中 聡


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